2018年度龍谷大学国文学会ならびに学術講演会のご案内

今年も例年にならい、研究発表会・総会を行う運びとなりました。
また今年度も、龍谷学会との共催で学術講演会を開催いたします。
参加費は無料です。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

以下詳細




◆2018年度龍谷大学国文学会 研究発表会・総会ならびに学術講演会
 日時:2018年6月30日(土) 13:30〜
 会場:龍谷大学大宮学舎 東黌301教室

■研究発表会(13:30〜15:00)
・俊頼判における歌評語「たましゐ」について
本学大学院博士後期課程   藤原  將寛 氏 

本発表で取り扱う歌評語としての「たましゐ」は、『元永元年十月二日内大臣忠通歌合』残菊・七番で源俊頼が初めて判詞に用いた語である。俊頼が判者をつとめた12箇度(衆議判・散佚歌合含む)の歌合判詞中に1例しか用例が見られないことから、これまで特に問題として扱われてこなかった。また、現行の注釈書類において歌評語「たましゐ」の解釈は一定していないのが現状である。しかし、俊頼は「たましゐある」ことを理由として勝を与えている。また、俊頼が「たましゐある」とした歌は『詞花和歌集』に入集しており、秀歌であったことが分かる。
歌評語「たましゐ」は、俊頼の用例以降、顕季(1例『元永二年七月十三日内大臣忠通歌合』草花・五番)・清輔(2例『仁安二年八月太皇太后宮経盛歌合』月・八番、『嘉応二年五月廿九日左衛門督実国歌合』後朝恋・九番)・顕昭(1例『千五百番歌合』恋三・千三百二十三番)・知家(1例『建長八年百首歌合』第二春秋・二百六十三番)と、六条藤家歌人らの判詞にのみ用例を見ることができる。これらの内、顕昭の例は歌を直接批評する用法ではないが、その他の歌評語としての用例は、全て「たましゐ」の有無を問題としており、俊頼の用法を継承している。歌合判詞以外にも、『阿仏のふみ』『増鏡』などでも和歌や歌集全体を評する語として用いられており、重要な語である。
本発表では、俊頼が「たましゐある」と評した和歌とそれに対する判詞を検討し、和歌のどのような点を批評する際に用いているかを考察する。また、俊頼判における「たましゐ」という概念を六条藤家の歌人達が享受継承したことを明らかにする。



稲垣足穂「煌ける城」におけるロード・ダンセイニ受容
本学文学部特任講師   高木   彬 氏 

稲垣足穂(1900-1977)の1920年代から1930年代にかけてのいくつかの初期作品が、アイルランドの作家ロード・ダンセイニ(Lord Dunsany、1878-1957)の小説・戯曲を下敷きとして書かれたものであることは夙に指摘されてきた。しかし、その具体相については、いまだ詳らかになっているとは言いがたい。本発表では、足穂作品のなかでもとくにダンセイニから強い影響を受けたと推測できる「煌ける城」(『新潮』1925・1)を取り上げ、その材源となった作品を特定する。その上で、ダンセイニ作品がどのように変形されて「煌ける城」に編み込まれているのかを具体的に検討することで、足穂におけるダンセイニ受容の特質を浮き彫りにする。それは、芥川龍之介菊池寛らにおけるウィリアム・バトラー・イェイツやジョン・ミリントン・シングからの影響を「日本近代文学におけるアイルランド文学の受容」として論じる近年の研究(鈴木暁世『越境する想像力──日本近代文学アイルランド──』大阪大学出版会、2014・2)の枠組みを、相対化する契機ともなるはずである。


■総会(15:10〜15:50)

龍谷学会共催・学術講演会(16:00〜17:00)
・日本の近代化と皇后〜明治期の女性教育書をてがかりとして〜
名古屋大学男女共同参画社会センター教授   榊原 千鶴 氏 


※懇親会(17:30〜)  於 龍谷大学大宮学舎 清和館1階生協食堂(会費5,000円)