【公式】龍谷大学国文学会 ニュースBLOG

龍谷大学 国文学会からのニュースを掲載するブログです!

2015年度龍谷大学国文学会ならびに学術講演会のご案内

今年も例年にならい、研究発表会・総会を行う運びとなりました。
また今年度も、龍谷学会との共催で学術講演会を開催いたします。
参加費は無料です。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

以下詳細

                                                                                      • -

◆2015年度龍谷大学国文学会 研究発表会・総会ならびに学術講演会
 日時:2015年6月27日(土) 13:00〜
 会場:龍谷大学大宮学舎 北黌204教室

■研究発表会(13:00〜15:00)
・『最勝四天王院障子和歌』定家詠の構想―障子絵の配置から―
                        本学大学院博士後期課程   溝端  悠朗 氏 

 建永二年(1207)に建設された後鳥羽院勅願寺・最勝四天王院では、日本各地の名所46ヶ所が障子に描かれ、その絵に添える和歌を10人の歌人で競作する催しが行われた。新古今時代の掉尾を飾るとされるこの『最勝四天王院障子和歌』において、定家詠は6首が撰入したが、この結果が定家にとって望ましいものでなかったことは、『後鳥羽院御口伝』が伝える誹謗事件によってよく知られている。
 この催しにおける定家詠については、主として誹謗事件を中心に論じられてきた。近年ではさらに各歌人の表現研究が進められ、定家詠についても46首を総合的に把握しようとする論が提出されている。しかし、定家の詠歌方法はもとより単一ではないため、46首すべてを説明することが可能な詠歌方法を析出するのは困難と言わねばならない。定家詠の全体を見渡すためには、個々の表現への注目だけでなく、『障子和歌』という催しに際して定家がどのような構想を描いていたのか、ということを把握する必要があるのではないか。
 定家はこの催しにさまざまな面でのまとめ・調整役として深く関わっており、『明月記』にはその企画・準備についての詳細な記録が残されている。なかでも本発表では、障子絵を堂舎のどこに配置するかについてまとめた記事に注目したい。この催しにおいては、和歌が障子絵と一体となって鑑賞されるという点で、その〈配置〉があたかも歌集における〈配列〉のような要素となり、歌を詠む際の構想に大きな影響を与えると考えられるからである。
 本発表では、まず定家詠の表現について、特に先行表現をどのように摂取しているかを検討し、定家詠の表現における重層性を確認する。そして、それらの歌が障子絵の配置と関わることによって、どのような空間を創出することになるのかという点から、この催しにおける定家詠の構想を捉えたい。なお、すでに『明月記』の当該記事をもとに障子絵配置図の復元が試みられているが、本発表ではその成果を取り入れつつ、あくまでも定家詠に絞って考えることとする。


三島由紀夫文学における〈美〉の表象とその射程―カント、フロイト美学を通して―
                          本学文学部特任講師   田中  裕也 氏 

 三島由紀夫文学において〈美〉の問題は、『禁色』(昭26・11〜昭28・9)『金閣寺』(昭31・10)や晩年の「豊饒の海」四部作(昭44・1〜昭46・2)などの代表作において扱われながらも、その思想的基盤が明らかにされたとは言いがたい。本発表では昭和二十年〜三十年前後の三島文学のテクストを横断的に見ていきながら、三島文学に書かれた〈美〉の問題の所在について考察していく。
 先行研究では、三島の重視する〈美〉とは、外面/内面という二項対立的な〈美〉のうちの、外面的な〈美〉であると理解されてきた。それは三島が『アポロの杯』(昭27・10)で、ギリシャ人の〈美〉について論じたことに由来する。三島は「希臘人は外面を信じた。」とし、「希臘人の考へた内面は、いつも外面と左右相称を保つてゐた」とした。この三島の発言は、逆照射的に『仮面の告白』(昭24・7)の近江や『禁色』の南悠一の同性愛的な肉体へと当てはめられ、その肉体美への絶対的な賛美・肯定として理解されてきたのである。
 しかし三島は本当に外面の〈美〉を肯定しているのだろうか。『仮面の告白』の「私」は同性愛だけでなく、異性愛や醜の〈美〉にも心惹かれている。また『禁色』の結末から見ても、悠一が内面の〈美〉である作家・檜俊輔に勝利したとは言い難い。今回注目したいのは、三島が昭和二十年代後半から積極的に唯美主義(芸術至上主義)の〈美〉と官能の問題を取り上げるとともに、カントとフロイトの名を挙げるようになることである。さらに三島は「強引な仮説の魅力――S・フロイド「芸術論」」(「日本読書新聞」昭28・10・19)で、カントとフロイトの〈美〉の分析について述べている。三島は「極度に反美学的考察のやうにみえながら、実はフロイトが陥つてゐるのは、美学が陥つたのと同様の係蹄である。」と、フロイトがカント美学に対立しようとしながらも、同様の陥穽に嵌まり込んでいることを指摘している。三島のカント、フロイトの〈美〉の受容を見ていきながら、〈美〉の問題が三島の小説の中でどのように描かれているのかを考察し、その問題系と射程を明らかにしていきたい。


・久世家文書の和歌資料
                            本学文学部教授   日下  幸男 氏 

 近世の公家文書の1つである久世家文書については、目録(国文学研究資料館『史料館所蔵史料目録』三一集、明治大学博物館『明治大学刑事博物館目録』一五号など)だけが存在し、その内容にわたる研究などつい最近まではなく、従って研究史をたどると言っても浅いものになる。たとえば、直接的な研究としては、日下幸男「久世家文書の研究 」(『国文学研究資料館紀要文学研究篇』三七号)平成二三年三月、国文学研究資料館編『展示図録 近世の和歌御会二〇〇年―久世家文書に見る公家の文事―』平成二三年五月、国文学研究資料館シンポジウム「近世の公家文書と学芸」平成二三年五月、国文学研究資料館編『研究成果報告書 久世家文書の総合的研究』平成二四年三月等があるだけである。
 つまり日下とその研究グループの論文等があるだけであり、他の研究はほとんど存在しない。
 日下は国文学研究資料館の特定研究の研究費を3年、科研費基盤研究(C)の研究費を4年もらって研究した成果が、いま有るだけだといっても良い。
 本発表では、7年間の研究結果にもとづき、主に久世家当主の和歌関係資料について紹介するとと もに、未知の新出資料も交えて、久世家文書の和歌資料についての紹介を試みたい。 

■総会(15:10〜15:50)

龍谷学会共催・学術講演会(16:00〜17:00)
 書きことばの諸相における「対話」の表現
                           筑波大学名誉教授   砂川 有里子 氏 

※懇親会(17:30〜)  於 龍谷大学大宮学舎 清和館2階生協食堂(会費5,000円)