【公式】龍谷大学国文学会 ニュースBLOG

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2014年度龍谷大学国文学会ならびに龍谷学会共催学術講演会のご案内

今年も例年にならい、研究発表会・総会を行う運びとなりました。
また今年度も、龍谷学会との共催で学術講演会を開催いたします。
参加費は無料です。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

以下詳細

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◆2014年度龍谷大学国文学会 研究発表会・総会ならびに学術講演会
 日時:2014年6月28日(土) 13:00〜
 会場:龍谷大学大宮学舎 北黌204教室

■研究発表会(13:00〜15:00)
・『源氏物語』の〈終わり〉―女を「据う」物語のゆくえ―
                       本学大学院博士後期課程   亀井 久美子 氏 

 夢浮橋巻には、物語の〈終わり〉を示す内部徴証があるというところから論を進めていく。巻末尾、浮舟に対し「人の隠しすゑたるにやあらん」とする薫の疑念は不自然である。なぜなら、彼は既に巻冒頭で僧都から出家のいきさつと住まいを聞き出しているのだ。なぜ、ここで「隠し据う」ことが持ち出されるのだろうか。
「すゑ」の先行研究によると不遇な女を自邸以外へ「住まわせる」意なのだが、『源氏』にはそのまま当てはまらない。『源氏』では用いる者の対象者への「貶める」視線が立ち現れる語だからだ。「据う」を用いられる女は五人(若紫・明石君・玉鬘・中君・浮舟)いる。『源氏』は男が女たちを「据う」物語と言える。「思ふやうならむ人を据ゑて住まばや」(桐壺巻)、「心苦しくらうたげならむ人をここに据ゑて、うしろめたう恋しと思はばや」(末摘花巻)と、光源氏の二つの「据ゑ―ばや」で始まり、「人の隠しすゑたるにやあらん」(夢浮橋巻)で終わる。理想の女を求める願望は、「紫のゆかり」を求める源氏の姿になり、大君の「形代」を求める薫の姿につながっていく。一方、気の毒でかわいらしい女を求める願望は、中の品の女性遍歴となる。「据ゑ」られることが玉の輿であった第一部に対し、第二部は「据う」その後の物語で、紫上と明石君の居場所「おほぞうの住まひ」が対比的だ。第三部の浮舟は、理想の人大君の「形代」であり、家での居場所を失った「心苦しくらうたげならむ人」である。つまり、浮舟は二つの「据う」願望の合流点と言えよう。女を「据う」用例十八例中九例が浮舟であるので、彼女は「据う」物語最終に向けて呼び出された女君と言える。「据う」の原義は場所を設えて人や物を置くことである。彼女は大君の「形代」として宇治に「据ゑ」られ、二人の男に翻弄されたあげく阿弥陀仏を己の居場所と決めるのである。
 薫を拒否することで出家継続を示す浮舟と、「人の隠しすゑたるにやあらん」と女を貶めて突き放す薫。この結末は、男を突き放すことで欲望の対象であることから抜け出ようとする女と、女を突き放すことで「形代」の妄執から解放される男の構図である。男が女を「据う」ことで紡いできた長編物語は、薫の邪推で「据う」ことの意味が問い直され、揺らぎ、一気に相対化されてしまう。「人の隠しすゑたるにやあらん」は、女を「据う」男の欲望と、男に「据ゑ」られずに生きようとする女を浮かび上がらせ、「据う」物語に幕を引くのである。



岡本かの子「百喩経」考―プロトタイプとしての意味―
                         本学文学部非常勤講師   野田  直恵 氏 

 岡本かの子が目指したのは「仏教の形を一つもその中に見せずして、しかも仏教の理解と一致する」(「仏教と芸術」昭9)小説の創作であった。だが、昭和十一年六月に「鶴は病みき」で小説家として世に打って出る以前の作品には、典拠とした仏典名を明示したものが七作あり、それらのうち四作の典拠は『百喩経』となっている。『百喩経』は喩えを通じて平易に教えを説く小話から成るが、かの子が複数回以上にわたって作品の典拠とし、その名を明示した経典はこれのみである。『百喩経』に対するかの子のこうしたこだわりの背景には、無住『沙石集』「序」の「狂言綺語のあだなる戯を緣として、佛乗の妙なる道に入れ、世間浅近の賤しき事を譬として、勝義の深き理を知らしめん」という言葉が横たわっていると考えられる。というのも、かの子には無住に言及した言説が見られ、『沙石集』にも『百喩経』の小話が引かれているからである。
 このような無住の姿勢を参考に、かの子は「仏教といふものをなるたけ旧臭い術語を使はず現代人の感覚にも享け容れられるやう、且は平易に解(ママ)」(「仏教のデッサン」昭8)こうとしたのではなかろうか。そうしたやり方で、自らが目指すかたちの創作に仏教を織り込んでゆこうとしたのである。また、かの子が歌人から小説家への転身を図っていた時期には、高山喜内『絵入国訳百喩経』(大11)、加藤峻『新訳百喩経物語』(昭3)といった『百喩経』を平易に訳出したものが刊行されてもいる。だからこそ、かの子は多くの仏典の中から、仏教を「平易に解」いた原型としての『百喩経』を選び、それを典拠として「仏教の形を見せ」ない作品の試作を重ねたのだと考えられる。冒頭に示したようなかたちの小説の創作を目指していたかの子にとって、無住の言葉や『百喩経』の「平易」な訳書は、手探り状態であったかの子に多くの示唆を与えるものだったのである。



・複合辞の存立を支える共時的条件
                            本学文学部教授   藤田  保幸 氏 

 「彼は日本語について研究している」「ホールにおいて式典を行う」の、「〜について」「〜において」のような形式を複合辞という。これらは、もともとは「に+つく+て」「に+おく+て」のように(自立語である動詞を含んだ)いくつかの語の結びつきであるが、ひとまとまりになって「彼は日本語研究している」「ホール式典を行う」の「〜を」「〜で」のような助詞と同等の関係を表す辞(付属語)的形式に転成したものといえる。こうした形式を、複合辞と呼ぶ(複合辞には、「〜にちがいない」「〜はずだ」のように助動詞的なものもあり、また「〜くせに」のように動詞以外のものを含んで転成した形式や、更には「〜とは」のように助詞同士が結合してできたものもあるが、本発表では、さしあたり動詞由来の助詞的複合辞に限定して論じる)。複合辞は、とりわけ近・現代日本語で発達した形式であって、その記述的研究が今日盛んに進められているが、今回は個別記述には立ち入らず、そもそもこうした形式が成り立っている所以を共時的な観点から考えてみる。複合辞化するのは意味が希薄で抽象的な動詞の場合だと言われることが多い。確かに「言う」と「述べる」を比較すれば、前者は「〜といって」「〜といえば」のように複合辞化するが、後者からは複合辞は生まれない。しかし、「〜に限って」のような複合辞もあり、「限る」のようにかなり意味が明確な動詞からも、複合辞は生まれる。意味が希薄で抽象的ということだけでは、転成して複合辞として用いられている条件の説明として十分とは言えない。そこで本発表では、動詞を含む助詞的複合辞が成り立つ一方で、そこに含まれる動詞が共時的にどのようになっているのか――例えば「〜に限って」がある一方で、「限る」という動詞が共時的にどのように使われるものになっているのか――ということを考えることから、複合辞の共時的存立条件を論じ、こうした問題についての筆者の考え方のアウトラインを示すことにしたい。

■総会(15:10〜15:50)

龍谷学会共催・学術講演会(16:00〜17:00)
 古注釈による本文解釈
                        同志社大学文学部教授   岩坪   健 氏 

※懇親会(17:30〜)  於 龍谷大学大宮学舎 清和館1階生協食堂(会費5,000円)