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2012年度龍谷大学国文学会 総会・研究発表会のご案内

今年も例年にならい、総会および研究発表会を行う運びとなりました。

参加費は無料です。

皆様のご参加を一同心よりお待ちいたしております。

以下詳細


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◆2012年度総会・研究発表会  

 日時:2012年 6月30日(土) 会場:大宮学舎 北黌203号室

■研究発表会(13:00〜15:45)

・『新編金瓶梅』における〈貞女〉呉服の受難をめぐって

                 本学大学院博士後期課程 豊岡 瑞穂 氏


本発表では、曲亭馬琴の長編合巻『新編金瓶梅』第七集における呉服の受難について取り上げる。呉服は、原作の白話小説金瓶梅』における西門慶の正妻・呉月嬢に相当する人物であり、当該箇所には、呉服が天満橋のほとりで乞食に蹂躙される様子が描かれている。
原作にはない凄惨な仕打ちが描かれた要因として、先行研究は、第一奇書本『金瓶梅』 の張竹坡評における呉月娘観の影響を指摘している。月嬢が犯す様々な悪事を踏襲しない〈貞女〉呉服の受難は、夫を諌めなかった罪を強調するためのものであり、馬琴の勧善懲悪観と白話小説の批判的摂取が示された「懲罰」の場面とされているのである。
しかし、本来「因」と「果」の釣り合いが重視される馬琴の合巻において、馬琴の知音の一人である殿村篠斎が「甚だし」と難じるほどの罰が与えられた必要性や意味については、さらに考証されるべきであろう。なぜなら、これまで研究されてきた白話小説からの摂取や張竹坡評の影響は、馬琴がこのような筋立てや人物設定を用意した理由の一つと考えられるものではあるが、物語の中における呉服受難の意味を決定づける材料としては不十分と思われるためである。
本発表では、まず呉服の〈貞女〉という評価についてまとめ、なぜそのように描かれなければならなかったのか、その意味と必要性について論じる。また、従来指摘されていなかった天満社参詣の道中の場面に注目し、説教節『小栗判官』からの摂取と、それによって付与されるイメージについて考察することによって、呉服の受難を捉え直したい。

・『源平盛衰記』「長光寺縁起」考
                 本学非常勤講師  浜畑圭吾 氏


 読み本系平家物語の一伝本である『源平盛衰記』は、巻第三十九に平重衡東下りの記事を載せている。一ノ谷の合戦で生け捕りとなった重衡は鎌倉の頼朝と対面するため関東へ向かうが、『源平盛衰記』はその途中で近江国長光寺に寄ったという独自記事を挿入しており、そこで長光寺の縁起もあわせて語っている。長光寺は滋賀県近江八幡市長光寺町所在の武佐寺のことであり、武佐が中山道の主要な宿場であったことから、『東関紀行』などにもその名が見えている。しかしその創建に関しては、『源平盛衰記』以前に詳細な縁起を記すものがなく、近世の地誌類、近代の事典類は『源平盛衰記』の同縁起を引くことが多かった。
 そこで本発表では、まず従来指摘のある聖徳太子伝との関係を中心に、その生成基盤について考えてみたい。『源平盛衰記』の記す長光寺縁起が聖徳太子とその后高橋妃による創建とするため、聖徳太子伝との関係はこれまでも指摘されてきたが、具体的な生成基盤については言及がないためである。
 そして次にそうした縁起が重衡の東下りの途中に挿入されていることの意味についても考えてみたい。道行きを中断してもなおここで縁起を語る必要があったと考えている。

・〈近代の超克〉論と同時代文学──国民文学論の行方──
                 本学特任講師  内藤由直 氏


 本発表は、戦中戦後の〈近代の超克〉論争(1942年・1959年)と、その同時代文学作品を研究対象として、〈近代の超克〉論における文学論としての意義を明らかにしようとするものである。 戦中戦後の〈近代の超克〉論がともに、当時を代表する作家・批評家によって提起された議論であったことはよく知られている。しかし、〈近代の超克〉論に関する国内外の先行研究は、当該議論を文学史上の問題としてではなく思想・哲学の問題として捉え、その観点から戦中の議論における戦争協力の一面、および戦後の議論が戦中の議論を追認した側面を批判してきた。
 このような既存の研究成果には、当該議論における文学論としての側面を十分に評価できていないという問題点がある。戦中戦後の〈近代の超克〉論はいずれも発表者がこれまで研究してきた国民文学論に参加した文学者たちによって提起された論争であったが、〈近代の超克〉論を思想・哲学の問題として把握する先行研究の観点では国民文学論との連続性を捉えきれず、また文学論争としての側面を見逃すことで同時代文学作品に〈近代の超克〉論が与えた影響を見極められないでいると考えられるのである。従って、往時の作家・批評家たちはなぜ〈近代の超克〉論を提起したのか、そして、同時代の文学作品はその議論をどのように受容したのかという問いが解決すべき点として残されている。
 発表では、戦中戦後の〈近代の超克〉論と先行する国民文学論争との関係を検証し、それらの議論間で連続する文学的係争点を析出することで、〈近代の超克〉論が時局便乗の機会主義的な議論ではなく、時代の要請によって提起された文学論であったことを明らかにする。そして、その係争点が、同時代作品の中でどのような表現として表れているのかを開示し、〈近代の超克〉論が時代の中で実際的に機能した文学論であったことを明らかにする。

■総会(16:00〜)

 ※懇親会(17:00〜)  於 清和館1F生協食堂(会費5.000円)